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平成11(1999)年度収集 収蔵品目録17

【寄贈】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 石橋源一郎資料(追加分)  平成元年の追加分である。故石橋源一郎氏が、『博多あの頃』 『写真集博多』などの編集に携わった時に、博多に残る古い写真や資料を集めたもの。写真には、源一郎氏本人が撮影・収集したものの他、佐々木慈寛氏や落石栄吉氏らが所有していた古いものも複数ある。また、複写資料には、博多の郷土史に関する貴重な文献も含まれている。 2,296 7,644
2 飯野隆義資料  博多北船町(現福岡市博多区上呉服町)で表具屋を営んでいた飯野家に伝わった資料群。飯野家で使用された民俗資料と、戦前期の雑誌などが含まれる。 390 405
3 鯉田博資料  寄贈者の父鯉田謙次氏が収集した戦前の絵はがきである。収集品として未使用のまま保管されたもののほかに、謙次氏宛に郵送されてきた使用済みの絵はがきも多く含まれており、その使用状況や時期がわかる。 237 238
4 小川峰登資料  小川家は江戸時代後期に福岡藩に仕え、右筆等を務めたといわれる。そのため、江戸時代後期から幕末にかけての当主が、幼年期から習字、書道の修練のために手本として与えられた往来物の版本や写し、それをもとに実際に修練のために写した往来物、手習いなどが多数のこされる。また「筑前国続風土記」、「黒田続家譜」、「黒田御年譜」など福岡藩に関する地誌、歴史書の写本、江戸詰めの際に写した滝沢馬琴などの読本類がみられる。さらに明治期の歴史書(木版)や謡本、絵画なども含まれる。 119 312
5 新原顕一資料(追加分)  寄贈者の父親が和歌を学ぶために収集した、幕末から明治、大正、昭和初期の和歌関係、国文学関係の書籍を中心とする資料。新原家は江戸時代には博多の町年寄を務め、近代には博多織関係の工場を営んでいた。幕末~明治初年の版本類では、香川景樹の「桂園一枝」などの歌集のほかに、いわゆる幕末の勤皇の志士とされる人々の辞世和歌集などがふくまれる。近代では和歌・短歌関係、国文学関係の講座やテキスト、歌論集、歌人伝、天皇御製集などがみられる。このほか筑前の勤皇運動関係の歴史書もみられるが、これらも和歌との関連が深いものである。 141 231
6 南蔵院資料  粕屋郡篠栗町の南蔵院が収集したチベット仏教関連の資料。ツクラカンと呼ばれるチベット寺院の本堂内部を再現した複製で、チベット仏教ニンマ派のケツン・サンポ師の指導に基づいて現在ネパールに住む職人が制作したもの。資料は主体をなす大型の仏壇のほか、立体曼荼羅、仏像、仏画、仏具、経典、荘厳具などで、総数約470点を数える。いずれも現代の作品ではあるが、日本の密教と関係の深いチベット密教の世界を体験的に伝えるもので、アジア文化の理解を促す点でも格好の資料である。 141 476
7 赤羽刀  第2次大戦後、連合国占領軍によって武装解除の一環として刀剣類が接収された。このうち関東地方で接収された刀剣類の中で廃棄を免れたものが、東京都北区赤羽にあったアメリカ第8軍兵器補給廠に集積された。昭和22年(1947)、この中から当時の刀剣関係者の尽力により、とくに美術的価値のある刀剣については返還されることになり、約5,500本余が選別され、上野の国立博物館(現東京国立博物館)に移管された。これらの接収刀剣類は、接収時の保管場所にちなみ「赤羽刀」と総称されるようになった。その後、終戦50年に当たる平成7年、議員立法により「接収刀剣類の処理に関する法律」が成立し、文化庁ではこの法を受け、「接収刀剣類処理検討会議」を設置し、厳格・厳正な鑑定・審議を基に旧所有者が判明した刀剣類については返還を行った。そして、残りの赤羽刀については、一旦、国に帰属した後、その活用策が検討され、全国の公立博物館等へ譲与され、活用・公開が図られることになった。本館では、筑前刀を中心に60口の譲与を受けた。 60 60
8 石賀信子資料(追加分)  平成10年度収集資料の追加である。昭和14年(1939)の第20回総選挙の際の選挙公報、昭和17年から20年にかけての『婦人之友』などからなる。戦時下の暮らしの一端を示すものとして、雑誌やチラシは貴重な資料である。 56 57
9 小林茂春資料(追加分)  平成9年度寄託、平成10年度寄贈に続く追加分である。小林家は江戸期から博多北船町で商家を営んでいた。その家屋は近代の変更は受けてはいたものの、博多の伝統的な町屋建築として本市教育委員会の調査を受けたこともあった。しかし、老朽化にともない平成9年に解体。当資料は解体前に運び出されたもの。家業に関する資料はなく、昭和初期から戦中にかけての生活を示すものや、教科書など近代資料が中心である。 55 60
10 髙橋清作資料  寄贈者の父で、昭和10年代に福岡市議会議長を務めた髙橋清作氏ゆかりの資料群。陸軍大佐であった清作氏が着用した大礼服のほか、昭和前期の福岡市政に深く関わった人たちが多く写っている写真などからなる。清作氏は、福岡市西区元岡にあった大日本飛行協会福岡飛行訓練所の所長も務めており、平成7年度寄贈の上潟口武資料のプロペラの破片に揮毫をふるった「髙橋所長」である。 21 21
11 宮崎和子資料(長濱家文書)  江戸時代初期から福岡藩につかえた長濱家に残された古文書資料。長濱三右衛門は慶長10年代、福岡藩主黒田氏が幕府の築城普請を手伝ったさいに、石の調達に従事しており、そのため黒田長政から様々な指令をうけた書状類が残される。また長濱四郎右衛門は3代藩主黒田光之の長男で4代藩主になるはずだった綱之(幼名万千代)の守役をつとめたため、幼少の万千代が四郎右衛門にだした書状類がまとまって残っている。長濱家の子孫である三郎氏から子の能得氏、さらに孫に当たる寄贈者に伝来したもの。 15 15
12 若松恵比須神社資料  若松恵比須神社は北部九州のうち有力な恵比須神社の一つで、近世以来多くの人々の信仰を集めてきた。冬・春両度の祭「おえべっさん」では、多くの人で賑わう。神社で頒布している縁起物、恵比須神の掛け軸、「かえましょ」行事で使用される土鈴。 6 8
13 光冨勝義資料  福岡藩の重臣久野氏の家臣で、嘉麻郡大隈に居住した光冨氏に伝来した甲冑および旗類。先祖は播州以来の武家で、慶長5年(1600)に黒田如水が大友吉統をたおした豊後の石垣原合戦では、久野家の若い当主とともに戦死した6人の家臣の1人(光冨龍右衛門)もでており、のちに6神としてまつられるなど、近世を通じて久野氏家臣団で重きをなした家である。甲冑のうち六十二間阿古陀形星兜は脇立が水牛角、吹き返しは2重に作り、もうひとつは6枚張りの椎実形突貝兜で、いずれも造形的にも珍しい兜である。 6 10
14 藤本健八資料(追加分)  平成2年度収集資料の追加である。福岡の切り絵作家郡憲輔氏(1914~76)が、福岡市唐人町(現中央区)にあった喫茶店「ワタナベ」のマッチラベルの原画として制作した切り絵の他、同店のマッチ及び包装紙。寄贈者が「ワタナベ」から譲り受け、保管していた資料である。 3 49
15 中山冴子資料  寄贈者の父で、旧制久留米中学(現県立明善高等学校)の教諭をしていた平井光平氏が、「教育上勤労不尠」として表彰されたときの表彰状と記念品。明治時代の学校教育および教員のありようを示す資料として貴重なものである。 3 43
16 野坂恵一資料  近代まで使用し、現在では使われなくなった牛馬に関する用具を、平成10年に野坂氏が当時の技術を用いて復元製作したもの。 3 5
17 重松一資料(追加分)  平成10年度収集資料の追加である。寄贈者が出征し、ビルマ(現ミャンマー)に駐留していた昭和19年(1944)7月から同21年7月の間に入手した伝単(戦時期の宣伝ビラ)である。 3 3
18 太田熊雄資料  小石原焼の名工として知られた太田熊雄氏(1912~1992)が製作した陶器。氏はバーナード・リーチ氏や民芸研究家の野間吉夫氏などとの交流があり、山深い小石原に民芸という、新たな価値観をもたらした人物。 2 2
19 中川三治郎資料  明治44年(1911)に福岡で行われた陸軍特別大演習の記念写真帖と昭和前期のものと思われるロケット燃料の容器。いずれも、戦時資料の収集家である寄贈者が収集した資料。 2 2
20 加野かをり資料(追加分)  平成9年度収集資料の追加。寄贈者の祖母モト氏が愛用した小物入れと懐紙入れ。加野家は博多奥の堂の造り酒屋で、屋号は萬屋。 2 2
21 永島武彌太資料  福岡県指定文化財「木造如来像残欠」および「木造聖観音立像」の2躯の木彫仏像。「木造如来像残欠」は平安時代後期に制作された如来像の一部で、体幹部前後2材の寄木造でつくられた前面のみが残ったもの。円満な顔や浅く穏やかな衣文の表現は、平安時代後期の畿内で制作された仏像の特徴をよくあらわし、仏師の熟達した技量を窺うことができる。「木造聖観音立像」は全身を1木から彫出して古式ではあるが、様式的には室町期の特徴を示す。 2 2
22 アンドルー・マスキ資料(追加分)  平成9年度収集の追加分。18世紀初頭、「早良郡麁原村上の山」に開かれた福岡藩の御用窯である東皿山窯跡(西新5丁目)の推定地付近で、寄贈者が採集した資料である。高取焼やトチン、サヤなどの窯道具がある。 1 193
23 今冨憲明資料  古墳時代後期の須恵器平瓶1点、近世磁器の碗、皿各1点の計3点である。すべて完形の資料であるが、寄贈者の亡父が採集された資料であり出土地など詳細は不明である。 1 3
24 石津司資料(追加分)  平成元年度収集の追加分。16世紀後半、大友氏の家臣小田部氏が城督となり、天正8年(1580)に落城した安楽平(荒平)城で、寄贈者が採集した三巴文の軒丸瓦。巴文の尾は圏線状になり、外側に12個の珠文をめぐらしている。使用年代が特定できる希少な資料である。 1 1
25 石橋勝蔵資料(追加分)  平成10年度収集資料の追加分。前回収集の墨壺のコレクションおよび大工道具に付随する鋸の目立て台である。 1 1
26 加藤利枝資料  奈良時代に鎮護国家を目的に大量に制作され、現在は法隆寺にのみ伝存する法隆寺百万塔の複製である。塔身と相輪は分離し、塔身の中に納められた陀羅尼経には「明治四十一年法隆寺」と朱印が押されている。明治時代後半には法隆寺が百万塔の一部を売却し、その利益で伽藍の修繕をおこなったが、本資料の年記はその時期と重なる点で興味深い。 1 1
27 城戸隆男資料  博多区井相田で、昭和40年代から近年まで使用された移動式籾摺り機。井相田の農家が共同で購入し、加工場に設置していたものを、各戸に移動させて利用できるよう台車をつけたものである。農業労働組織の変化過程を示すのに有効な資料である。 1 1
28 波多江五朗資料  昭和4年(1929)、寄贈者の父 五兵衛氏のもとへ嫁ぐ際に、嫁 とよ子氏の生家で記された御祝儀帳。神前結婚式の流行によって結婚式の様子が大きく変化する以前の博多で、どのような形の婚姻儀礼がなされていたかを知るのに最適の資料。 1 1
29 早見晴夫資料  寄贈者の夫早見晴夫氏が入手した写真集。昭和2年(1927)に選定された日本八景のほか、国立公園や神社・仏閣、年中行事などの写真が収められている。 1 1
30 原田嘉平資料(追加分)  博多人形師原田嘉平氏の遺族から昭和63年度以降順次寄贈されている原田嘉平資料の追加分。本資料は昭和30年代に制作された博多人形「攀(のぼ)る」で、登山が趣味の原田氏の女婿をモデルにしたもの。現代的なテーマであることもさることながら、原田氏が円熟期に向かおうとする昭和30年代の作風を窺える点でも貴重である。 1 1
31 森本佳津子資料  博多区櫛田神社の飾り熊手。中洲のスナックの店内に飾られていたもの。櫛田神社では毎年、節分祭をおこない多くの参拝者を集めている。このとき門に飾り付けられるのがお多福で、人々はその口を通って境内へ入る。この期間の櫛田神社は、博多の代表的な厄除け祈願の場となる。 1 1
32 中村洋一資料  昭和49年以降、日本で公開された映画チラシのコレクション。長年に亘って収集した映画チラシを五十音順にファイルして保存していた。ジャンルを問わずあらゆる映画のチラシが集められている。 5,314 10,336

【寄託】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 瀧光徳寺資料  瀧光徳寺所蔵の仏像3躯。「木造弘法大師像」は像内に大正2年(1913)に福岡仏師の高田又四郎(1847~1915)が制作したことが記される。高田又四郎は江戸時代の福岡仏師の流れを汲み、また代表的な近代彫刻家として知られる山崎朝雲の師である。その現存作品は少なく、本資料は近世と近代の橋渡し的な活動をした仏師の作風を知るうえで貴重。また「木造日蓮上人像」および「木造弁才天像」は像内や台座の墨書銘から、それぞれ天保12年(1841)と天保14年に和歌山の仏師の宮島定覚によって制作されたことがわかる、近世後期の基準作例である。 3 3

【購入】

目録 資料群名 解題 件数 点数
1 能面コレクション  室町時代から江戸時代にかけての能面146面、狂言面23面からなるコレクション。うち能面18面は黒田家の伝来品。井関上総介親信の作と考えられるものをはじめとし、近江井関家、大野出目家、児玉家など諸家の主要な面打ち師の作が多く含まれる。 169 169
2 上妻文書  鎌倉御家人で、筑後国上妻庄内に地頭職を有した上妻家に伝来した中世~近世文書群。成巻分18巻125点、未成巻分24点、目録3冊等からなる。古文書は、第1巻の文治2年(1186)5月6日付関東下文案を最古に、第7巻の寛政6年(1794)7月8日付上妻可忠宛上妻七兵衛家弘書状を下限とする。
 上妻氏は、鎌倉期以来、筑後国上妻郡上妻圧を本拠とした在地領主で、戦国期には、北部九州一円に勢力をもった大友氏に属した。戦国最末期、上妻越前守鎮政は龍造寺隆信に攻められ肥後国山鹿郡四丁村に没落するが、その男次兵衛鎮勝は柳川城主となった立花宗茂に召し出されてこれに使えた。鎮勝の男才兵衛宗貞は、正保3年(1646)8月、浪人となり先祖の由緒の地である上妻郡柳瀬村に居住した。
 本文書群は、鎌倉末~南北朝初期の北部九州における動乱や、戦国期の大友氏の動向を究明する好個の素材である。
45 156
3 近世筑前東山流華道関係資料  筑前東山流は近世後期の筑前秋月藩出身で、のちに京都で東山流の華道を修学した千葉一流があらたに工夫し広めた華道の流派。一流は晩年は福岡赤坂に居住し、その子万水とともに流派を広げただけでなく、華道に関する著作を多く著し、博多などでも出版された。本資料は、近世後期から明治中期にかけ、太宰府周辺で同流を広めていた桑田氏の所持資料で、千葉一流の著作の写本、版本のほか、華会開催の規定書や案内等の書状も多く含まれるなど、筑前東山流の実態を示す資料といえる。 87 89
4 福岡藩重臣杉山尚行日記  近世後期から、幕末・明治期にかけ、10代福岡藩主黒田斉清、11代藩主黒田長溥などに使え、重臣、家老を歴任した杉山尚行(文左衛門、大組850石)の残した役中日記、手控え類。文政12年(1829)から安政7年(万延元・1860)にわたり、計42冊に及ぶ。尚行は文化年間から大目付を皮切りに、文政12年に御納戸役を務めるなど、10代藩主黒田斉清の側近としてつかえ、参勤交代にも従った。その後の11代藩主黒田長溥の天保~安政年間には裏判役となるなど、昇進を続け、藩政の中枢にかかわった。元治元年(1846)からは在京家老などを務めている。したがって、日記の内容は自らの日々の役中覚というだけでなく、藩主の動向や藩政上の出来事、それらに関するの通達、達、関連の公文書の写しなどが記され、当時の幕府や国許の政治、外交、社会情勢が詳細に窺える。 42 42
5 西門町文書  大正・昭和初期の西門町総代に関わる文書群。松囃子・山笠関係と戦時関係に大別される。松囃子・山笠関係文書からは、西門町が所属する福神流が能当番として山笠行事に参加していた状況が窺える。また、戦時関係文書には防空演習の記録や、献納金の寄付状況をしめす資料などが含まれる。 64 83
6 旧吉川観方コレクション(追加分)  京都の日本画家で風俗研究家であった吉川観方氏(1894~1978)が蒐集した資料。内容は近世~近代の絵画、工芸、書跡など多岐にわたる。本目録にはそのうち調度類を収録する。なお平成7年度目録に絵画、8年度目録に染織(小袖・小袖裂)、9年度目録に装身具類、10年度目録に金工(鏡・刀装具)を収録する。 645 883
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9時30分~17時30分
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