展示・企画展示室

No.584

企画展示室1

博物館髪型探訪

令和4年8月23日(火)~ 10月23日(日)

■はじめに
図1.作者不詳「太夫図(摸作)」(部分)
図1.作者不詳「太夫図(摸作)」(部分)

 「日本髪(にほんがみ)」といえば時代劇や和装の花嫁姿でおなじみの、頭髪を複雑な形に結い固めた女性の「結髪(けっぱつ)」が思い浮かびます。歴史を紐解くと、平安時代以来約700年の長きにわたって「垂髪(すいはつ)」の時代が続いており、「結髪」が盛んになったのは桃山時代以降のことです。結髪文化は江戸時代を通じて豊かに花開き、近代以降も形を変えながら現代まで400年余り続いています。本展では女性の結髪史を概観するとともに、髪型にまつわる様々な博物館資料をご紹介します。

■結髪のはじまり

 長らく日本女性は垂髪の美を誇ってきましたが、実際に日常生活でも髪を長々と垂らしておけたのは限られた貴婦人だけでした。多くの女性はしばしば暮らしの必要に応じて伸ばした髪を一時的にまとめたといいます。当初、その髪の結び目は位置が高すぎると品が良くないとされましたが、中世以降は徐々にその位置が腰や背中あたりから首元、そして頭頂へとあがり、同時に垂髪の丈も短くなって「かもじ」(付け髪)が普及しました。

 さて結髪文化がはじまった桃山時代は、戦に明け暮れた前時代から一転し、華美と異風が好まれた時代です。同時代の絵に描かれた女性たちは、遊女を中心に肩のあたりでばっさりと髪を切り、男性の髷まげや異国人の髪型などを真似てのびのびと振舞っています。のちに爆発的に種類を増やす結髪には概ね4つの系統が認められますが、そのほとんどが遊女から広まったといいます。

 まずは4つの基本系統をみてみましょう。1つめは「太夫図(たゆうず)」(図1・出品5)に描かれている「兵庫髷(ひょうごまげ)」系です。17世紀初頭に生まれた髪型で、髪を頭頂でまとめて輪をつくり、根元に余り毛を巻いた形です。歌舞伎踊りの創始者出雲(いずも)の阿国(おくに)も結ったとされる桃山時代の「唐輪髷(からわまげ)」を洗練させた形で、その源流は異国人や稚児(ちご)の髪型だとされます。

図2.伝西川祐信筆「柳下美人図」(部分)
図2.伝西川祐信筆「柳下美人図」(部分)

 2つめは「柳下美人図(りゅうかびじんず)」(図2・出品6)にみられる「島田髷(しまだまげ)」系です。17世紀前半に若衆歌舞伎を担った美少年の結っていた「若衆髷(わかしゅうまげ)」が元とされ、折りたたんだ髷の中ほどを括るのが特徴です。17世紀半ば頃までに遊女あるいは歌舞伎役者が取り入れ、人気に火が付きました。いわば異性装ですが、次第に上流階級の子女にも受け入れられ、若い女性の代名詞として長く愛されました。

図3.伝 宮川長春筆「勝山遊女図」(部分)
図3.伝 宮川長春筆「勝山遊女図」(部分)

 3つめは「勝山遊女図(かつやまゆうじょず)」(図3・出品7)の「勝山髷(かつやままげ)」系です。頭上に束ねた髪で輪をつくり、白の元結をかけた品のある髪型です。17世紀半ばに生まれたとされます。のちに輪の幅を広げるなどして「丸髷(まるまげ)」ができ、既婚女性の髪型になりました。

 4つめの「笄髷(こうがいまげ)」系のみ、遊女ではなく宮廷女官や御殿女中から広まったとされます。彼女達は垂髪から発展した「おすべらかし」(出品4)を普段結っていましたが、自室で休憩する際は後ろに長く垂らした髪を笄(こうがい)という簪(かんざし)の一種に巻き付けてアップスタイルにしました。笄を抜けばすぐさま垂髪に戻れる便利さが重宝されたようです。

 4つの基本系統は、組み合わせたり細部を変形させたりすることで、のちに何百種類もの髪型に発展しました。

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休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

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