宋・元と博多


文永の役

 1200年代前半、蒙古(もうこ)はアジアからヨーロッパにまたがる大帝国を築きました。皇帝フビライは1271年、国号を元(げん)と改め、朝鮮半島の高麗を制圧後、日本にたびたび使者を送り朝貢(ちょうこう)を要求しました。元は要求を拒否しつづける日本に対し、1274(文永11)年、高麗との連合軍3万をもって対馬(つしま)・壱岐(いき)を襲い、10月20日博多湾に攻め入りました。元軍は百道原に上陸し、麁原(そはら)・鳥飼(とりかい)・別府(べふ)・赤坂(あかさか)で日本軍と激しく戦ったのち、いったん船に引き上げましたが、翌日、博多湾から姿を消していました。