宋・元と博多


蒙古襲来の影響

 二度にわたる蒙古襲来に対して、鎌倉幕府は九州に所領を持つ御家人を下向させ、また非御家人までを動員して防戦しました。しかし、幕府は彼らに十分な恩賞を与えることができませんでした。また、九州の裁判と軍事指揮を行なう鎮西探題(ちんぜいたんだい)を博多にもうけ、九州の御家人が裁判のため鎌倉や京都に出かけることを禁止し、元に対する警備に専念させました。そのため九州の武士は大きな負担を強いられ、次第に幕府から離れていったのです。





右図:恩賞地筑前国早良郡比伊郷
(おんしょうちちくぜんさわらぐんひいごう)(柏原(かしはら)遺跡)
 1288年(正応元)年、弘安の役で戦死した薩摩国(鹿児島県)御家人渋谷有重(しぶやありしげ)の子孫に対して、幕府は恩賞地として筑前国早良郡比伊郷(福岡市南区柏原)の行武名・若国名(ゆくたけみょう・わかくにみょう)の田地10町と屋敷2カ所を与えました。しかしその規模は小さく、恩賞地はくじびくで与えられました。南区柏原の発掘調査により、この恩賞地の所在が確認されました。